オーロラの街 カナダ・イエローナイフ。旅の滞在先はゆったり泊まれるスイートルームで。ホテルやB&Bに代わる、新しい宿泊施設がスタートしました。

Kitano201108

しまのつぶやき

ロシア在住のビジネスマンが見た震災後の人達 2011年8月

こんな記事を見つけました。
実際に住んでいると分からないものですが、大災害に際した人たちを見て、他の国からは大絶賛でした。
また、そうでなくても旅行に訪れた外国人からは、日本の評価は大変高いです。

何事にも「良い箇所」と「悪い箇所」があります。

良い部分は自信を持ってそれを伸ばして、悪い部分はそれを自覚して直していくべきであって、両方を混ぜて考えて「こっちは良いけどこんな悪い部分もあるから全然自信が持てない」と考えるのは良くないです。

ロシアに在住しているビジネスマンが日本良い時事帰国しました。
本人が体験した「驚くべき日本の姿」がレポートされていましたので、
その「良い部分」の実例として、ぜひ見てほしいです。


奇跡の国・日本で ~ 北野の帰国

一瞬ですが、用があり日本に帰国しました。

▼ガラガラの飛行機と東京行き電車

8月といえば夏休み。
この時期に日本に帰ると、いつも満員です。

しかし、今回はどうでしょう?
うわさには聞いていましたが、飛行機の中はガラガラでした。
だいたい2割くらいしか乗ってない感じ。

フランスから戻る日本人の団体旅行客。
フランス人。
ロシア人は、全然乗っていません。

成田に降り立ち、上野までスカイライナーで行きました。
私の車両には、なんと私も含めて4人だけ。
二人は韓国人ビジネスマンで、並んですわっています。
後一人は、おそらく日本人でしょう。

う”~~~。
なんなんでしょう?
説明の必要もないと思いますが、「原発事故」のせいです。

地図を見ると、ロシアって広大でしょう?
日本は、ロシアからみたら小さな国です。

だから福島で原発事故があれば、「日本全土が汚染されている」と考えてしまうのです。

おそらく、アメリカ、中国、インドなど「大国」の人たちは、ロシア人と同様に考えているのではないでしょうか?

ガラガラの空港、電車にのりながら、私は「原発事故って、どれだけ観光業に損失を与えているんだろう・・・???」
と考えてしまいました。

皆さんお気づきのことと思いますが、目だって外国人が減りましたね。

それに、農業の打撃。
今まで、「日本茶」「煎茶」「緑茶」といったら、立派なブランドでした。

欧米やロシアの健康雑誌を見ると、「煎茶は抗酸化作用が強い「日本人が長生きする秘密は煎茶だ!」などといった特集記事が山ほどのっていたのです。

しかし、いまじゃあ。
煎茶を欧米人にプレゼントしても、喜んでもらえないし、飲んでもくれませんよ。

こういうのも、「原発事故が日本経済に与えている大打撃だよな~」などと思ったのです。

▼親切な営業マン

しかし、暗いことばかりじゃありません。
私は、むしろ今回の一時帰国で、大いなる希望をもったのです。

さて、あまり長いこと東京にはいませんから、仕事関係の人を最優先に、毎日人と会っていました。

で、毎日食事に呼ばれるのですが、道がわからないことが多いのです。

ある出版社の方とお会いした日。
私は、待ち合わせのレストランの場所がわかりませんでした。
そこで、通りがかりの男性に、「レストラン●●ってご存知ですか?」と聞きました。

するとその男性は、「え~と、知らないですが、ちょっと待っていてください」といい、携帯を取り出すと、ネットでレストラン●●を検索しはじめました。
そして、地図を見つけると、「なんとなくわかったので、お店までご案内します」といって、私を連れていってくれたのです。

途中、彼も間違ったりして、少し時間がかかってしまいました。
すると、「時間がかかってしまってすいませんでした」と頭をさげました。

なんでも、彼は23歳。
不動産投資会社の営業マンだとか。
もちろん、彼は私に営業しませんでした。

お店まで連れて、さっさと次の訪問先に行きました。
年輩の方は、「日本の若者は!」といいますが、こういう人もいます。


▼謝る女性

ある日、仕事の関係でモスクワに電話しなければいけませんでした。
しかし、携帯の電気がなくなってしまった。
それで、仕方ないので公衆電話からかけました。

時間は夜の12時。
周りには、駅の修繕をしているおじさんたちがたくさんいました。
その中に、おそらく20代後半くらいの、やせてメガネをかけた女性がいました。

深夜に肉体労働をしているのですね。
私が電話し終わると、その女性が私のところに近寄ってきて、こういいました。

「お電話している最中、騒音で邪魔をしてしまって、すいませんでした」

私は、なんのことかわかりませんでした。
ちっともうるさくなかったからです。でも、数秒して彼女の言いたかったことがわかりました。

話してみると、ダンナさんの稼ぎだけでは苦しいので、子供を寝かした後、夜働いているとのこと。
私は、「ああ、えらいな~~」と思いました。
彼女が夜働いていることもそうです。

それと、そんなに楽でない境遇でありながら、公衆電話で話している私のことまで気をつかっている。

さらに、明るくて元気なのです。

私は、自分の祖国ながら、「なんちゅう国だここは!」と感動しました。


▼紙ナプキンを拾うTさん

長年お世話になっているTさんと食事をした時のこと。
魚がおいしいことで有名なお店に行ったところ、人がいっぱいでした。
それで、路上の席で食べることにしたのです。

路上は、暑い。
一応扇風機はあるんですが、こっちに風があたらないんですね。

すると、隣の席のかなり年輩のお客さんがすぐに気がついて、扇風機の向きを「スっと」こちらの方に変えてくれました。

そして、「風あたりますか?」と聞きます。
でも、こっちに風あてたら、自分は熱くなるじゃないですか。
それでも、その男性はいいのですね。
私達に風が来るようになったことで、自分も喜んでいるのです。

さて、路上では、風も吹きます。
風が吹いて、紙ナプキンがテーブルから落ちました。
すると、Tさんは、速攻ダッシュして紙ナプキンをひろってきました。

ロシアで、こんなことは絶対ありえません。
タバコも90%くらいはポイ捨てですから。


▼「一番おいしいもの」をサービスする店長

Tさんは、店長と話はじめました。
そして、私のほうを見て、「この人は、ロシア在住なんですよ」といいました。

店長さんは、「へ~~、ロシアからはるばるこられたんですか」といい、

「じゃあ、一番おいしいもの、サービスしておきますよ!」

といって、にっこり笑いました。
その後、スタッフ2人としばらく「モスクワ在住の人に何をサービスしたら喜んでもらえるだろうか?」と話し合っていました。

そして、私にはよくわからないのですが、とってもおいしい魚料理をサービスしてくれたのです。

私はその店の常連にはなれません。
一年に1~2度くらいしか帰らないのですから。
店長も、当然そのことを知っています。

でも店長にとって、「私が常連になるならない」そんなことはどうでもいいのでしょう。
だから、私は感動したのですね。


▼無私の奉仕

いくつか例をあげましたが、私が日本にいるときは、常に「天使」に守られているような気がします。

「天使」というのは、普通の日本国民のことです。
不動産投資会社の営業マン。
工事現場のお母さん。
扇風機のおじさん。
Tさん。
店長。

彼らは、全然なんの見返りも求めず、私に親切にしてくれました。
まさに、「無私の心」です。

直接の金銭的利益に絡んで「親切」にするのは、外国でもあります。
無償でも、親戚や友人への親切は、外国人もします。
しかし、見も知らぬ人に、ごくごく自然に与えることができる人たち。
私は、本当に日本のことを誇らしく思ったのです。


▼泣く神父

ロシアはソ連時代、国民総「共産主義教徒」でした。
しかし、ソ連崩壊後は、伝統的宗教である「ロシア正教」(キリスト教の一派)が大復興しています。
それで、私にもロシア正教の知人・友人が多いのです。

震災後のある日、モスクワで有名なイーゴリ神父と話していた時のこと。
イーゴリ神父はこんなことをいいました。
「昨日テレビで、日本の被災地の様子をやっていたよ。
食料の配給をやっている。
日本人は整然と並んで待っている。
そして、配る人が「いくつですか?」と聞くと、「一つ」とか「二つ」とか答えるんだな。

その様子を見て、私は涙が止まらなかった。
そして、後で『ロシアで同じことが起こればどうだろう?』と自問した。
たぶん、行列なんてできず、奪い合いになるだろう。
「いくつ必要ですか?」と聞けば、
「全部出しやがれ、このやろう!」といい出す人が必ず大量に出てくる。
暴力沙汰になる可能性だって高い。

私は、自分の祖国(ロシア)と日本を比べて、そのあまりのちがいに愕然としたよ。
そして、日本人は神様に愛される人たちだと思う。

中には震災について、「天罰だ」という人もいる。
しかし、悪いことをした人だけがひどい目にあうわけじゃない。
その一番いい例がイエスだよ。
最高の善人だった彼は、磔られて殺されたじゃないか?

私は、「天罰」だというのなら、日本は「全世界」の罪を背負わされたのだと思う。
それは、日本人が、世界でもっとも神に近いからだ。
しかし、イエスが復活したように、日本は必ず復活する。
復活しないわけがない。
私は、テレビを見ながら、そう確信したんだ」

私は、日本に戻ってきて、日本人の尊さがまったく失われていないことを確信しました。
それどころか、逆に震災前より祖国への誇り、愛が強まっているのを感じました。

進んでいきましょう。
日本人であることに誇りをもって。

今回は、北野の一時帰国の話でした。

元記事:
http://archive.mag2.com/0000012950/index.html


良い所には自信を持って、悪い部分は直していきたいですね。

2011年8月 しま

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